2009年7月アーカイブ

日食.JPG全国的に天気が良くなく残念な日食でしたが、MobileMarketing.JPのオフィス付近で数秒だけ見ることができました。日食ブーム到来という感じでしたが、東京の天気は優れず、ほとんどあきらめていたのですが、スタッフの1人がオフィスのすぐ外で見えたとの情報。すぐにそとに出てみるが、雲に隠れて曇り空。待つこと5分ほど、なんと雲の間で日食発見。数秒間しか出なかったのですが、急いでケータイで撮りました。あきらめずになんでもトライしてみるものだなと思った日食の太陽でした。

 

「PC-98」というパソコンがあったことを知っているだろうか。「PC-98」とはNECが日本の環境に合わせて独自規格のパソコンで、90年代半ばまでは圧倒的な国内シェアを持ち、デファクトスタンダードとして、日本のパソコン市場を独占していた。それが、海外のデファクトスタンダードとなったDOS/V(PC-AT互換)機とWindows95が登場によって、あっという間にシェアを落とした。いまでは、「PC-98」機を探すことも難しい。

では、「PC-98」はなぜ絶滅してしまったのだろうか?

「PC-98」は、ほとんど日本市場のみに出荷していたため、日本だけの市場ボリュームになってしまい、規模の経済がきかず、製品としては価格が高止まりしてまう。それに比べて、DOS/V(PC-AT互換)機は世界でのデファクトスタンダードとなり、圧倒的なコスト差が生まれてしまったのだ。最近の日本のケータイを見ていると、そんな「PC-98」を思い出してしまう。日本という市場に合わせて高機能・高品質・高価格を維持してきたケータイは、まるで「PC-98」である。

日本のケータイは世界でも進んでいるという人も多い。しかし、携帯電話に関する調査などを行っていると、ハイテクなケータイへの興味が薄れており、ケータイはコモディティになってきていることを感じる。最近の日本のケータイは、液晶の高精細化、カメラの画総数アップ、新たなミドルウェアの搭載などしているが、ユーザー視点でみると、何も変わっていないように感じてしまう。これは、本質的な機能が変化していないからなのだろう。ユーザーのベネフィットが変わらなくなってしまった(進化しなくなってしまった)ケータイは、急に「PC-98」のように規模の経済性によって、一気に市場が変化してしまう可能性があることを忘れてはいけないと思う。

 

最近、海外から友達として登録させてくれ、と来るメッセージが増えていておどろく。数年前から登録してあったFacebookというSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の上でのメッセージである。それも、Nokia時代の海外の同僚や20年前の高校時代の友達からどんどん来るのである。

最初は、Nokia時代のシンガポール人やアメリカ人、フィンランド人から来るのが多かったのだが、20年前、アメリカの高校に通っていた時の同級生からたくさん友達登録の依頼が来たのには、おどろいた。当時すんでいたのは、ケンタッキー州というアメリカでも本当に田舎な地域である。そんな田舎でもFacebookのネットワークは社会インフラ的になっているのだろう。ほとんどの同級生がつながっているのである。

Facebookには、世界で2億5千万人ユーザーがいると発表している(2009/7)。世界のMixiとも言えるだろう。そう思うと、日本のSNSは最大手のMixiでも1682万人(2009/3)と、小さく感じてしまう。

Facebookには、おどろくこともある。それは、プライバシー感覚の違いだ。Nokia時代の同僚はこの人とつきあってますというのが表示されているのである。日本人的な感覚だと、そこまでオープンにするかという気持ちになってしまうが、普通に彼女・彼氏との写真をアップしているので、普通な感覚なのだろうと思う。しかし、Facebookのようなグローバルサービスがデファクトスタンダードになってくると、自分達のプライバシー感覚も変えていかなければいけないのかなと思ってしまうのである。