2005年3月アーカイブ

最後の最後でトラブルの嵐に襲われ、不安な日にちをすごしたが、成田に着いたとき、開放された。ひさびさの日本である。もう、心配することはないと、本当にほっとする。

ずっと行くことができなかった南米に行くことができ、そして、ずっとあこがれていたマチュピチュを見ることができた、すばらしい旅となった。やはり、世界は自分の足で行き、自分の目で見なければわからないと再確認する旅であった。また、いつかマチュピチュを再度目指したいと思う。

今回の旅を独断で採点:
充実度:★★★
どたばた度:★★★
大変度:★★★
人生影響度:★★★

今度こそ日本に帰るぞと、早めに空港に向かう。その日の日中には世界遺産にも登録されているリマの植民地時代から続く街並みや博物館を見ることができ、よかったような、ついていないような。夜中1時のフライトに向けチェックインの列に並んでいると、周りからフライトがキャンセルになったみたいと声が聞こえてくる。え、また・・・、絶句する。デルタはさすがに対応がしっかりしており、いいホテルで一泊食事すべて付きという対応で、一日後のフライトを準備したとの案内。ホテルへのバスの中、そういう状況ということもあり、アメリカ人やオランダ人と仲良くなる。ホテルで、ゆっくり風呂に入りながら、自分は日本に帰ることができるのだろうかと不安になる。ホテル内のレストランに行くとだいたい同じメンバーがいるので、いろいろと話ながら、時間をすごす。

そして、予定より、3日遅れでアトランタ経由の成田行きの飛行機にやっと乗ることができた。

フライトキャンセルを独断で採点:
ついていない度:★★★

バスはものすごい渓谷を登り、また下っていく。山を進む道路は、日本の山道のように整備されていなく、一部は大量の水が道路を横断し、川になってしまっている。土砂崩れをむりやり修復したような箇所もある。大きな落石が道に落ちていたりと、日本の道のすばらしさを思う。バスはリマに向けて22時間進む。山岳地帯を抜けると、砂漠地帯に入る。そして、ナスカという街に着く。そう、あのナスカの地上絵のある街である。バスは、世界遺産の地上絵のど真ん中の道を走っていく。少し線のようなものが見えるが、やはり地上からでは難しいようだ。多くのセスナ機がコンドルのように上空を舞う。トラブルのおかげでナスカの地上絵を少しでも見ることができるとは、ついているようなついていないような。

バスはやがて、海岸線に出る。海岸線は本当に砂丘というレベルではなく、完全な砂漠になっていた。ベルーという国は海岸線から数十キロは砂漠があり、内地はすべて岩山が続く、山岳地帯なのである。観光客に必死にすがるクスコの人たちの理由が少し理解できた。ペルーという国は、砂漠地帯と山岳地帯という、自然環境的に非常にきびしい土地であり、灌漑がされている地域でないと農業もできない場所であり、ほとんど国内の産業が無いのである。バスから見ていると、人々はどうやって生計を立てているのだろうかと思う。ペルーの政治不安も分かる気がする。

バスはリマに着く。とりあえず、デルタの飛行機のめどがたっていないので、オフィスに向かうが、しまっている。しょうがないので、空港に向かう。12時間ほど待ち、その日のアトランタ行きのウェイティングリストに載るものの、席はあかず、リマに一泊し、次の日のフライトを待つこととする。

↓空港でペルーの「インカコーラ」を飲んで待つ
空港でペルーの「インカコーラ」を飲んで待つ

クスコ−リマ間のバスを独断で採点:
危険度:★★★
勉強になる度:★★

朝7時のリマ行きのLAN Peruの飛行機に乗るべく、クスコの空港に向かう。空港で搭乗を待つがいつまでたっても、搭乗が始まらない。飛行機が遅れているの?と航空会社のスタッフに聞くと天候不良でキャンセルになったという。アナウンスもなしに飛行機がキャンセルになっているなど、考えられるだろうか。そとの航空会社のカウンターで詳しくは聞いてくれと言われ、向かうが、カウンターでは「この電話番号に電話して振り替え便を取ってくれ」というだけ。電話するが、電話はつながらない。何度もカウンターでどうしたらいいんだと聞くのだが、この電話に電話するか、または、クスコの中心にあるLAN Peruのオフィスに行ってくれ、という。さすが、南米の航空会社である。対応がめちゃめちゃである。地球の歩き方を見ると、クスコの飛行機は取り消しになりやすいと書いてあるが、自分の身に降りかかるとは。

しょうがないので、タクシーでLAN Peruのオフィスに行くが、一時間ほど待たされた上、あっさり「リマ行きの飛行機は3月30日まで無い」という。イースターだから混んでるから無いとのこと。これでは、今夜のアトランタ経由成田行きのデルタに乗ることができない。しょうがないので、とりあえず、長距離バスでとりあえずリマまで移動するかと思い、バスターミナルに向かう(かなり離れているのでタクシーで移動)。22時間かかる夜行バスはあり、とりあえず予約した。が、今夜のデルタ便には間に合うはずが無い。しょうがないので、LAN Peruのオフィスにタクシーで戻り、デルタの便を変更できないかと掛け合う。しかし、デルタは変更できないので、デルタに電話をしろという。外の公衆電話でデルタに電話する。次はデルタでは次の成田行きで空いているのは、4月2日だという。一週間後の帰国はありえないので、文句を言うと、今度はLAN Peruからデルタに連絡を入れてくれという。また、LAN Peruのオフィスに戻り、デルタに連絡してもらう。30分ぐらい待たされ、なんとか明日の便に変更はできたという。しかし、デルタに確認の電話を入れてくれと言われ、再度デルタに電話するが、今度はリマの空港が休憩中なので、確認ができないという。

さすが、南米である。そんな状況で現在バスの時間を待っているが、帰国できるか不安な状態である。

結局、私は2日間、マチュピチュを見つめ続けた。本当に美しい。魅入られていた。日に焼けても(標高2400mのためかなり焼ける)、虫に刺されても(ジャングルの中なので虫が多い)気にせず、見つめ続けた。あきなかった。

出発しなければいけない時間になっても離れられずにいた。最後にまたいつか来ると心の中で言いながら、後にする。そのとき雨がはげしく降りはじめる。まるでマチュピチュも悲しんでいてくれるようだ。

マチュピチュはとんでもなく広い遺跡である。半分ぐらいを見てくたくたになってしまう。クスコからの日帰りツアーではとても見切れないだろう。疲れと雨の降る予感に、昼食をとることにする。席に座った途端、雨が激しく降り出す。時期的なものかスコールのような激しい雨が午後に降ることが多いようだ。多くの人が遺跡からびしょびしょになりながら、出てくる。しかし、雨が止む予感がしたので、食べながら待つことにする。雨が降った後はきれいな写真が撮れることが多いという、自分の法則もある。やはり、雨は止み、少し日がさす。遺跡に急ぐ。

観光客もぐっと減っている。何枚か、良さそうな写真を撮る。そのとき、急に遺跡の中心にある、木が気になりだす。マチュピチュの遺跡にはほとんど木が生えていないが、その一本だけが大きく枝を伸ばしている。まるで、宮崎駿のラピュタの木のような、その木を撮りに行く。そこはコンドルの神殿と呼ばれるところであった。神殿から出ようとすると、補修作業をするおじさんと出くわす。おじさんが日本人か、とスペイン語で聞く。日本人だよ、雨がひどいねえ、と返す。この神殿のこと知ってるかといいながら、ここからここに抜けられるんだよと、巨石の裏側の通路を教えてくれる。この神殿の中心には巨大な自然石があり、複雑な通路がある。急におじさんが陶器には興味があるかと聞く。こっちへ来いといいながら、ポケットから石の彫刻を取り出す。誰にも言うな、見せてやると、貸してくれる。握り手がついた彫刻で、見たことが無いようなものだったので、すごいね。高そうだね(売ったらという意味で)?というと、「20ドルでいいよ」という。え、そんな発見したものを20ドルで売るかよ。なんだよ、土産品でこづかい稼ぎかよ。しかも、陶器でも無いし。と心の中でつっこみを入れつつ、「10ドルでどう?」と返す。すると「いいよ」という。まあ、マチュピチュ記念でいいかと思い、買う。「絶対に言うなよ」といいながら、去っていく。「もちろん」と返す。

おじさんは修復作業に戻ったのかなとまわりを見たのだが、だれもいない。狐にだまされたような(いまどき使わない表現だが)気持ちになる。

周りの山を見ると、虹がでていた。写真を撮る。脇をみると、野ウサギが3匹ぐらいこちらを見ている。そちらの方に行ってみる。変わった建物が続く。ミイラが安置されていたような穴がいくつかある。周りには見渡すかぎり一人もいない。こういうところにいると、今、どの時代にいるのかわからなくなる。道に迷う。少し不安になり、急いで階段を登る。遠くに人が見える。よかった。

なんだか、道と時間の迷子になりそうな不思議な感覚であった。

マチュピチュについて独断で採点:
不思議度:★★★

列車はアグアスカリエンテスの駅に到着する。ここから、普通だと小型バスに乗り、マチュピチュを目指す。

しかし、ここからバスで登ってしまっては面白くない上、あじけない。そこで、アグアスカリエンテスが位置する渓谷からマチュピチュの遺跡がある山頂まで歩いて登ることにする。標高差400m。歩いて登ろうという人は自分だけのようで、不安になりながらも登山道を見つけ、ジャングルの中を歩きはじめる。途中、歩いているクエ(巨大ねずみ)を見かけ、びっくりする。動物園で見た特徴的な後足が印象的である。普段、山道を登ることなどないので、かなりきつい。汗だく、息もあがった状態で登り続ける。インカの段々畑が見え、勇気付けられる。あこがれのマチュピチュまでもう少しだと自分をはげましながら、足を動かし続ける。そして、・・・、見えた石造りの家らしきものが。自分の足で登りきったことがうれしかった。心は遺跡へと急ぐ。入場券を急いで買い、マチュピチュの遺跡に入る。

そこにはすごい景色が広がっていた。渓谷に刻まれたたくさんの急な山が並ぶ中、登ってきた山の山頂に500年前に捨てられた街が広がっていた。まるで、宮崎駿のアニメの天空の城のようである。あまりの美しさに、元段々畑であったところに座り込み、一時間ほど時間を忘れ、見つめていた。あこがれの地、マチュピチュは本当にすごかった。私の中で行ったことのある遺跡でもっとも美しい遺跡である。本当に来てよかった。目指してよかったと思う。

マチュピチュを独断で採点:
老古学的にすごい度:★★★
美しい度:★★★★

ついにマチュピチュに向かう日が来た。朝4時に起き、駅に向かう。クスコからマチュピチュの麓の街アグアスカリエンテスに列車で向かうのだ。昨日ぎりぎり一席だけ残っていてチケットを取ることができた観光列車「ビスタドーム」に乗り込む。このビスタドームは通常の列車(バックパッカークラス)よりも窓が広く、天井の一部もガラスになっている。朝6時に列車が動き出す。アメリカ人を中心とした世界中からマチュピチュを目指す人で満席である。列車はクスコの丘をスイッチバックで登りだす。スイッチバックとは、急な斜面にひかれたジグザグの線路を前進・後進をしながら、登っていく方式である。見える景色はまるで「世界の車窓」からである。朝日が昇るなか、クスコの街を見下ろしながら、進む景色は本当に美しい。線路の脇にはぼろぼろの土レンガの家が立ち並び、人々が外で洗い物をしていたりと、人々の生活を垣間見る。

そして、列車は3時間半ほど、ウルバンバ川の脇をのぼっていき、アグアスカリエンテスに到着する。途中、遺跡が見えるなど、景色は本当にすばらしく、すばらしい列車の旅である。帰りには、すばらしいクスコの夜景を見ることができる。

ビスタドームを独断で採点:
世界の車窓度:★★★
楽しい度:★★★

チリ・サンティアゴから飛行機でリマまで4時間、乗り換えクスコまで2時間、約半日で世界遺産の街、クスコに着く。クスコは標高3400mに位置し、飛行機で到着すると高山病になりかける。頭痛に襲われる。心拍数もあがっているようだ。なるべく動かないようにする。

クスコは500年前に南米の広大な領土を持つインカ帝国の首都として、栄えた。しかし、ピサロを含むスペイン人の侵略により、重要な建物は破壊され、王を殺され、キリスト教の街に作り替えられる。しかし、まだ少し残るインカの建物や壁により、世界遺産として、世界から観光客を集めている。

特にサン・ドミンゴ教会には、内部に太陽の神殿の一部が残されており、部屋や壁、土台などより、500年前の姿を想像ができる。インカの文化は石の加工技術でしられているが、すごいのは、一段一段の石積みがまったいらになっていることである。水準器などをつかっていたようだが、その測定の技術がすごいのではないかと考えさせられる。すぐれた石の加工技術もあるのだろうが、すぐれた測定によって、あれだけ正確に石を組み合わせ、建物を正確に作ることができたのではないだろうか。

         

クスコは、観光の街である。欧米人を中心とした観光客がかなり多い。民族服を着たおばちゃんや子供がこれ買って、あれ買ってとものすごい攻撃でつらいものがある。

もうすぐ、マチュピチュに向かう。マチュピチュは、この旅の目的地である。ついにあこがれの遺跡が近づいてきている。

クスコを独断で採点:
インカのすごい度:★★
売り込みのすごい度:★★★

ラブホテルにもへこみ、となりの街にうつることにする。となりの街の名前は「Bina del Mar」。チリのリゾート地である。となりのバルパライソから数キロに位置するが、街並みもきれいで小型のショッピングモールが立ち並ぶ。歩いている人もこぎれいである。

さっそく海に向かう。太平洋に沈む夕日を見るためである。バスを降りると、目の前に太平洋が広がる。大西洋に面したブエノスアイレスから1400キロ(推定)、南アメリカ大陸を横断したかと思うと感慨深い。

多くの人々が波に入ったり、日光浴をしたりしている。ただ、波が大きい。1m50cm−2mぐらいの波で、海水浴には厳しそうなのだが、チリ人たちは楽しそうに波と戯れている。水も寒流が流れているのでつめたそうである。

そして、日が沈む。少し赤みを帯び、強烈な光を放ちながら沈んでいく太陽。空の青とうっすら残る赤が絶妙にうつくしい。

Bina del Marを独断で採点:
リゾート度:★
海度:★★★

外を見ると、まどいっぱいに広がる海。霞がかかった対岸が美しい。カフェの窓に切り取られた風景が美しい。完成されている。

今、私はチリ・バルパライソのアセンソールの上のカフェで、コーヒーを楽しんでいる。バルパライソは古い港の街で、神戸よりも坂が急なため、アセンソール(スペイン語ではエレベータという意味)という木の箱がロープでひっぱり上げられる乗り物が数ヶ所ある町である。街自体はきれいではないのだが、カラフルなトタンや古びた家が立ち並ぶ風景とアセンソールで、世界遺産に登録されている。はっきり言って、街は安全な街ではないし、丘の下は汚い。しかし、丘のうえの風景は本当にすばらしく、一見の価値があると思う。

バルパライソの丘のうえからの風景:
美しい度:★★★

*実際に行こうと思う人へ
バルパライソに行く際は、となりの街ビーニャで泊まることをおすすめする。ラブホテルに泊まりたいということがなければ。バスで約15分で移動可能。

アンデスを越え、バスは最終地バルパライソに着く。もちろん、今夜のホテルは取っていない。地球の歩き方に載っているホテルに問い合わせてみる。よさそうなホテルは埋まってしまっている。ひとつのホテルが、窓のない部屋なら空いているという。まあ、窓ぐらいなくてもいいかと思い、ホテルに向かう。

ホテルに着き、部屋を見せてもらう。通常の部屋は埋まってしまっていると聞かされながら、奥に連れて行かれる。怪しげな部屋が並んでいた。一番奥の部屋を見せられ、これでどうと聞かれる。そう、その部分のホテルはラブホテルのようである。まあ、チリでラブホテルに泊まるチャンスなんて一生ないなと思い、普通の部屋に泊まるのも悔しいので、ジャグジーの付いた部屋に泊まることにする。しかし、なんだか気がめいる部屋である。もちろん、窓はないし、鏡だらけ。その晩は、ジャグジーを楽しみ、早めに就寝。

こんなホテルを掲載しているとは、おそるべし、地球の歩き方。

チリのラブホテルを独断で採点:
おすすめ度:星なし(ネタにしかなりません)

長距離バスは荒野のような山を登る。そう、このバスはアルゼンチンからチリへ向かう長距離バスである。このバスは、南米大陸の最高峰アコンカグアの近くを越えて、チリへと向かう。

真っ青の空に白くそびえたつアンデス。アコンカグアは6900mもあるので、まだ9月ぐらいの気温だが、雪がおおいかぶさっている。

すごい岩山や、ものすごい荒野を走っていく。切り立った崖や荒野は、まるでグランドキャニオンの近くのような景色である。何万年もかけて、作られた自然のすごさを感じる景色である。道路の近くを走る廃線になった小さな鉄道が人間の小ささを感じさせる。

バスはアンデスから下る渓谷を登っていく。壮大な風景の中を登りつづける。アコンカグアがかなり近いと思われる場所のある建物の前でバスは停車する。アルゼンチンとチリの国境である。ここで、一時間ほどかけて、アバウトな手続きでチリに入国する。

バスに再度乗り込み、今度はアンデスのチリ側を下っていく。ものすごい高低差を下るため、道路は蛇行する。4000メートル近いアンデスの峠を越えてきたことを実感させる。

アンデス越えバスを独断で採点:
すごい度:★★★
おすすめ度:★★★
きれい度:★★★

それが見えたのは、ブエノスアイレスからバスに乗り、890kmが過ぎたところだった。アンデスという響きよく耳にするが、身の回りで実際にいったことがある人は聞いたことがなかった。そのアンデスが自分の前に姿を現そうとしている。

そして、1000kmを越えたアンデス・アコンカグアの麓の町、メンドーサにバスは到着する。15時間夜行バスでアルゼンチンを横断し、チリの国境に近い町まで来たのである。

そして、夕方、アンデスに沈む夕日をカメラにおさめようと、「Cerro de Gloria」という丘というか、小さい山に登る。今回の旅行には1.5kgもある大型のカメラを持ってきているので、いい写真を撮らなければというのもあり、きれいな写真を撮りたいのだ。この丘はサン・マルティン将軍という、アルゼンチン・チリではよく通りの名前になっている歴史上で重要な人物が、チリの独立を助けるため、ここから救援にむかったそうで、頂上にある記念碑は5ペソ紙幣の絵柄になっているほど、重要な場所だそうである。タクシーでメンドーサの巨大な公園の丘に登る。タクシーの運転手のおじさんは、ほこらしそうにメンドーサの歴史や重要性を語る。

夕日を撮るのにいい場所を見つけ、日が沈むのを待つ。太陽が沈み始める。夕日は赤くならない。そう、空気がきれいすぎると、赤くならないのだ。ものすごい明るさで沈む夕日を、カメラに収める。

ずっと、タクシーのおじさんは待っていてくれる。まあ、タクシーが通るような場所ではないので、待たせるしかないのだが。気のいいおじさんであった。スペイン語でしゃべりつづけるので、半分ぐらいしかわからなかった。ただし、最後には高めに料金を請求される。まあ、しょうがないかと払う。おじさんはきっと、大好きだと語っていた夜の店にでかけるのであろう。

アルゼンチン横断バスを独断で採点:
大変度:★★★

「ボカはすりや強盗が多く本当にあぶないよ」タクシーの運転手が真顔で言う。向かっているQuinquera Martin美術館のあるブエノスアイレス・ボカ地域は、観光地区は警察がいるけども一区画でも離れると襲われるとのこと。まあ、地元の人がそういうのだから、気をつけよう。タクシーがボカ地域に入ると街並みは荒れてくる。スラム街のイメージである。雰囲気としてはメキシコシティに似ている。ヨーロッパ的な街並みのブエノスアイレスでは違う雰囲気である。

そのボカが港であったところに画家Quinquera Martinが建てたりっぱな幼稚園の中に美術館がある。Quinqura Martinの絵は初めて見るが、その港が全盛期であった頃の活気が船や人の構図や色から伝わってくる。その美術館は屋上に出ることができ、上がってみるとすばらしい景色で、ボカ全体を見渡すことができる。正面に広がるのがQuinquera Martinが題材にした港である。この港はヨーロッパからの移民はすべてここに降りたそうである。きっとここは昔、ニューヨークのようなところだったのだろう。

アルゼンチンはヨーロッパ移民の国である。97%がスペイン・イタリアを中心とした白人だそうである。ブエノスアイレスでは、街中でも歩いている人はほとんどが白人であり、インディオの血を引く人たちはほとんど見かけない。

Quinquera Martinに話を戻す。彼は孤児院に育ち、養子に入る、貧しい環境で育ち、絵で成功する。成功すると、ボカの町に病院や学校など6つの建物を寄付したそうである。また、美術館も自分の絵だけではなく、他人の絵も多く飾られている。そして、現在は観光客でにぎわう「カミニート」と呼ばれる通りを作った。この通りでは多くの画家たちが絵を売っている。ボカという地元に死後なお貢献する、観光資源を作り上げたキンケラ・マルティンはすばらしいと思う。

Quinquera Martin美術館を独断で採点:
芸術度:★★★
ためになる度:★★★

アルゼンチンといえば、タンゴとはよく聞く。しかし、タンゴとはどういうものか、音楽をさすのか、ダンスをさすのかも知らない。では、実際に見に行って見なければと、タンゴツアーに申し込む(ブエノスアイレスは治安がよくないので、ツアーでないと危ないとのこと)。レセプションの気のいいおじさんが「Senor Tango」が絶対にいいからと勧めるので、そこに決める。まあ、せまいバーのようなところで、音楽とダンスという感じなのかなと想像をふくらめながら、送迎バスに乗る。「Senor Tango」に着く。入っていくと、3階建ての劇場のような建物であった。1階と2階では、食事つきの客がボリュームのあるステーキなどを食べている。席は3階のステージ正面のイスだけの席。ステージは1階にあるので、覗き込むように見る。

暗くなり、スモークが出る。始まった。すごい。アルゼンチンの歴史が劇のように展開される。オリンピックの開会式のようなオープニング。原住民とヨーロッパ移民の戦い、発展する。「アルゼンチンはラテン版のアメリカなのかな」と考えさせられる。そして、バンドの登場、1900年代初頭のよき時代的イメージの歌とダンスがステージに展開する。ステージの舞台装置も本格的で、ステージの中央がせりあがったり、ワイヤーアクションの人が上から降りてきたりと、こちらがはらはらするぐらいダイナミック。そして、タンゴのダンスが始まる。男女のペアでからみあいながらも、ものすごい速さでステップを踏んでいく。まるで、カンフー映画並みの動きである。どう動いているのかは素人にはまったくわからないが、とにかくすごい。昔見た「Shall we dance」とは別次元のダンスであった。何組ものカップルが登場。最後には背の高いきれいなダンサーが大きくやわらかいダンスで魅せる。そして、渋く恰幅のよい男性歌手が登場。大きく太い声で歌う。

「最後にタンゴの神様エルネスト・フランコが来てくれました」と思われるアナウンスで、バンドが急にベテランに変わり、エルネストがアコーディオンを弾く。タンゴ音楽では、アコーディオンが主役のようである。そして、ベテランの音楽とともにフィナーレへ。あの渋い歌手が「今ここには世界中の人が集まっています。世界平和を目指しましょう」ともりあげる。ダンサーも全員ステージに出てきて、ステージのテンションは最高潮に。そして、アルゼンチンカラーの布がステージに広がり、フィナーレとなる。

タンゴというよりもショーであり、最後には少し涙ぐむぐらい、楽しむことができた。ブエノスアイレスに行った際には(あまり行かないと思うが)「Senor Tango」お勧めです。

「Senor Tango」を独断で採点:
すごい度:★★★
面白い度:★★★

時差ぼけがかなりきついのが続いている。せっかくの休暇なので、なんとかもっと快適な旅にしなければと新しいホテルを探すことにする。さっそく朝から目星をつけていたホテルに電話する。スペイン語で聞いたのがよかったのか、空いているようだ。ホステルの人もいい人達だったので、後ろ髪をひかれながらも、新しいホテル「Hotel Carsson」に移る。今度のホテルは4つ星だが、一泊6000円ぐらいである。部屋は採光はよくないが、バスタブ・トイレ・テレビ・冷蔵庫・ドライヤー付きであった。さっそくフロに入る。感動。(おそらく日本から直接来たら感動はしないと思うが)。立地も、東京のセンター街に似たフロリダ通りという繁華街が近く、さっそく、くりだす。「Galleria Pacifico」というショッピングモールを見つける。アメリカのモールのようなイメージで、きれいで多くの店が並んでいる。地下にはフードコートがあり、昼食とする。いろいろな店があるが、アルゼンチンといえば、ステーキであるので、ステーキにする。並んで注文していると、巨大なステーキを出しているのが見える。私の注文したスペアリブもやはり大きなものが2枚のっていた。サラダも大盛りである。この量、食べるのは難しいなと思いながら、食す。まあ、肉は硬いが、ボリュームがすごい。食後は、ジェラート屋でジェラートを注文。一番小さいコーンを頼んだのにすごい量を無理やり盛り付ける。すごい量である。すごいぞ、アルゼンチン。

そのモールの3階はアート展示場になっており、「アンリ・カルティエ・ブレッソン展」をやっていた。アンリ・カルティエ・ブレッソンは、非常に有名な写真家で自分がもっとも好きな写真家の一人である。そのブレッソンの写真が155枚もそろっているとはすごすぎる。有名な写真も並び、本物を見れるのには感動。あまりの枚数に疲れてしまった。さすが、ボリュームの国アルゼンチンである。

ブエノスアイレスを独断で評価:
お勧め度:★★

アトランタから10時間でブエノスアイレスに着いた。異国に来たにおいがする。入国審査を待ちながら、いつものように、携帯の電源を入れる。しかし、電波がつながらない。世界中ほとんどの国で使えるはずの携帯電話で、そんな経験はしたことがない。(後で、Vodafoneのページを見ると、アルゼンチンはローミングできないことが判明。そんなことあるのだと驚く)

ブエノスアイレスに着いてから、ホテルを取るつもりでいたのだが、携帯がつながらなければ、できない。しょうがないので、ホテル案内所で予約してもらう。が、中級ホテルはほとんど埋まってしまっている。あまりホテルに使いすぎるのもつらいので、ホステルでもいいとお願いする。ホステルにタクシーで向かう。ホステルは、やはりホステルであった。共同トイレ、共同シャワーである。22時間飛行機に乗ったのだから、湯船につかりたい・・・。さすがに、ドーミトリー(2段ベッドが2つある部屋)ではつらいので、個室にしてもらう。

やはり、便利になれてしまっているなと実感する。携帯しかり、お風呂しかり、ベッドしかり。だが、バックパッカーしたいわけではないのだが、バックパッカースタイルになってしまうのが、かなしい。

街を歩くと、大都会である。少し土っぽくて、ほこりっぽい。排ガスが鼻につく。新しい場所になれるのには、時間が必要である。少しへこみぎみな自分であった。

ブエノスアイレスを独断で採点:
おすすめ度:星なし(いまのところ)

アトランタには、アメリカ・ケンタッキーに住む両親が、わざわざ6時間運転して駆けつけてきてくれていた。わざわざ会いに来てくれるとは、うれしいものである。近況報告など、ひさびさにすることができた。

話はかわるが、私は枕にはこだわってしまう。それは、合わない枕だと、頭痛がしてしまうからである。家で使う枕はいろいろなものを試してきた。そんな悩みを持つ私は海外旅行ではさらに悩んでいた。欧米の旅行者が、フルサイズの枕を飛行機に持ち込んでいるのを見るが、いいなと思ってしまう。今回、旅行に出る前にすごくいいものを発見したのである。それは、無印良品の低反発まくら7cmがものすごくコンパクトになるということである。普通サイズの枕なのだが、ウレタンを押しながら巻いていくと、ものすごく小さくなるのである。さらに、無印で売っていたナイロン袋にいれると、ペットボトル2本分ぐらいのサイズになるのである。

低反発枕なので、飛行機の際、腰に入れても、頭の後ろにいれても、ずっと快適になる。さらに、ホテルでも普通サイズ枕として、使える。同じような悩みを持つ方、おすすめである。

携帯式低反発まくらを独断で採点:
小ささ:★★
快適度:★★

私は今、飛行機に乗っている。南米に向かうため、アトランタをめざし、12時間、向かっている。私は、今回、アルゼンチン、チリ、ペルーの3ヶ国を回る予定だ。私は、旅行に行く際、ツアーは選ばない。なぜか。それは、自分に合っていないからである。自分のペースで自分の行きたいところだけ、行くのが自己手配旅行である。お金と時間を使うのだから、納得できるものがいい。もし、気にいらない旅行となっても、自分の責任である。今回もホテルをまったく予約していないなど、面倒な事も多いが、自分で行動し、切り開いていくのが楽しい。今回の旅行は、新調した大きなバックパックがお供である。ひさびさにバックパックを背負うと違和感がある。私はバックパッカーを目指しているわけではないが、バックパック一つで自分のペースで、切り開いていける人間でありたいものだと思う。

アトランタまで12時間、アトランタで6時間待ち、ブエノスアイレスまで10時間。ある意味贅沢な時間の使い方である。仕事の出張ではありえない使い方である。だが、日々の生活から離れ、いろいろと考えをめぐらすことができる。そんな贅沢な時間である。

今回の旅は、5年間働いたご褒美だなと思うので、楽しみたいと思う。

自己手配旅行を独断で採点:
おすすめ度:★★
大変度:★★★

私は、「アランチーニ」がなんか好きだ。出会うとついつい頼んでしまう。初めて「アランチーニ」に出会ったのは、シチリアの片田舎の小さな町でなんとなく入ってみたバールのショーケースの中だった。

「アランチーニ」とは、南イタリアで食べられているライスコロッケである。食べるとわかるのだが、カリカリに揚げた中には、トマト風味のご飯の中にチーズが入っている。サクッとかむと、チキンライス的なご飯からチーズが出てくるといった感じである。

最近出会ったアランチーニは、六本木ヒルズで仕事帰りに見つけた毛利Salvatore Cuomoのお持ち帰りスタンド(?)と恵比寿ガーデンプレイスでたまたま入った「Buco di Muro」のもの。サルバトーレのアランチーニは、3つぐらい入っていて、ボリュームもあり、毛利庭と東京タワーの夜景を眺めながら、楽しむと最高。ただし、今の季節はかなり寒い。「Buco di Muro」では、パニーニ(これも結構美味)では、満腹にならなかったので、注文。チーズがたくさんかかっていて、美味。右のピンボケ写真は、「Buco di Muro」のアランチーニ。

イタリアンで見かけたらぜひ食べてみてほしい。 

アランチーニを独断で採点(3点満点):
おいしい度:★★
B級グルメ度:★★★
マニアック度:★★

ところで、同じようなイタリアンB級グルメで「カルツォーネ」がおいしい。ナポリの街角で売られていて、地元の人に混じり食べたところ、非常においしい。日本ではいまのところおいしいものは発見できずである。

私、ejiriは、あまり自己表現がうまくないのが最近の悩みです。心理学的には、自己開示度が低いという事になるそうです。ということで、もっと自分を出していこうということでブログで「My コラム」を初めます!独断で書いていきますので、いろいろと突っ込みどころ満載になるかもしれませんが、読んでもらった人に役立つような事を書いていきたいと思います。